May 08, 2014

外国人の名前が3人以上でてくる小説

Hiroko06_3 かれこれ、三年も更新を怠っていた、このブログですが、昨年のお正月、意外なところで浩子のHPに反響がありました。美人の従妹の上の女の子は、以前は小さい頃の従妹そっくりでしたが、今も可愛いけれども小学校二年生(今は三年生ですね)の別の人格を持った(当たり前ですが)人になっていて、浩子に「外国人の名前が三人以上でてくる話を読むのが苦手なの?」と尋ねるのです。書いた自分(私)も半分忘れていましたが、浩子のHPのプロフィールに、特技、目を開けて眠ること、苦手なこと、外国人の名前が三人以上でてくる話を読むこと、と私が書いたのをお父さんに見せてもらって読んだのだそうです。

そして、彼女は、「そんなことを書かれて、(つまり姉の私のことを)恨んだ?」と浩子に尋ねるのです。「もっと恥ずかしいことを暴露されているから、このぐらいは全然大丈夫」と浩子は答えていましたが、「外国人の名前が三人以上でてくる話を読むことができない」のはかなり恥ずかしいことだと理解し、それを暴露されるのは恨むほどのことだと考える小学校二年生がいることに驚きました。カラマーゾフの兄弟の登場人物だったらまだしも(ほとんど似ていない愛称も覚えないと意味不明)、アンとかポール(ex.悲しみよこんにちは)とか、日本の名前よりも簡単な場合のほうが多いと思うのですが。

と、同時にそこに反応する人がいることにも驚きました。人それぞれツボが違うものですね。

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Mar 06, 2008

カラヴァッジオの絵に出てくる人

Musicianscaravaggio 数年前のある日、カラヴァッジオの大ファンで、メトロポリタン美術館で彼の絵を堪能したという友人に、あの絵の人はうちの妹に似ているのだと伝えると、「でも日本人で、女の人なのに?」と言われました。そう、その絵の人は男なのです。

でも、浩子も小学校の頃は、ほとんど半ズボンで過ごし、私の同級生男子には杉田の弟と言われていました。よく考えてみると、大人になってからも、近所のプールに行ったとき、女子更衣室に向かう浩子に受付の人が呼びかけるので、浩子は自分の顔を見ればさすがに間違いに気付くだろうと振り返ると、面と向かって、「そちらは女子更衣室です」と言われたそうです(浩子はしょうがないので、自分で「私、女です」と説明したとか)。

とはいえ、その絵の人は今の浩子に似ているわけではなく、小さな頃の浩子に似ています。親戚の家に行った帰りに、寝ちゃいけないと言われても、電車の中で眠り、駅につく直前に起こしたときの、半分寝ている状態の浩子です。小さな頃の浩子はほっぺたをつまみたくなるような、もしくはつっつきたくなるような(?)子で、細面の今とは全然違いました。メトロポリタン美術館には、カラヴァッジオの絵が集まっている部屋がありますが、そこに行くと、いつも、「あ、浩子だ」と思います。この2枚の絵のモデルは別の人だ、という説と、同じ人だ、という説がありますが、どちらも「あ、浩子だ」と思うので、多分、同じ人なのでしょう。

1596_caravaggio_the_lute_player_the 今、展示されているのは、この『リュートを弾く人』の方だけですが、手前のバイオリンと笛は、どんなに目をこらしても、掴めそうなぐらい3Dです。カラヴァッジオの部屋は、特別展の出口にあり、いつもどこかから出てきたときに、ふいに出てくる絵でしたが、最近、シネマトグラファーのヴィットリオ・ストラーロがカラヴァッジオのローマにある絵について語るのを読んで、すぐにローマには行けないので、身近なところに観に行きました。ストラーロは、『暗殺の森』、『暗殺のオペラ』、『地獄の黙示録』、『ラストエンペラー』、『シェルタリングスカイ』など、挙げればきりがないですが、いつもその光にびっくりささせられるカメラマンです。映像の中にレンブラントやカラヴァッジオの絵のような光が映っているのです。あるとき、ストラーロはローマの教会で、当時は名前も知らなかった人の絵、『聖マタイの召命』を見て、息をのみ、その後、ずっと、光と影の意味についてその絵が語ることを考え続けているのだそうです。この絵との出会いがなければ、『地獄の黙示録』でカーツ(マーロン・ブランド)のキャラクターを描くことはできなかったと言います。『地獄の黙示録』は、コッポラが作った世界文学に匹敵するような映画で、原作はコンラッドの『闇の奥』です。(詳しくは、是非、立花隆の『 解読「地獄の黙示録」 (文春文庫)』をお読み下さい。)この絵がなければ、あの闇の奥までは達しなかったのかもしれません。はじめて、カラヴァッジオとストラーロの繋がりについて考えましたが、まったく納得です。この絵をローマでご覧になった方がいらしたら、是非、どうだったか教えてください。すっかり話がそれましたが、ストラーロを動かしたこの絵にも、浩子に似た人が描かれているはずなのですが(他にもたくさんあります)、他の二枚のようには似ていないのか、アングルが違うと別人になってしまうのか、「あ、浩子だ」と思う人はいません。

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Feb 18, 2008

Our Favorite Things

Jan2007_1 言うまでもなく、『My Favorite Things』は『サウンド・オブ・ミュージック』の曲です。昔は浩子が歌っているのを聴いて私が覚えてしまうほど、我が家では、『オペラ座の怪人』(『Angel of Music』)が流行っていましたが、最近は二人ともミュージカルはやや苦手です。もともと、歌になった英語は分かりにくいのですが、『シカゴ』を映画で観て、この複雑な話をミュージカルの舞台で自分が理解するには無理があったことに、また、『シカゴ』のミュージカルで、かつてなく爆睡してしまったのもいたしかたなかったことに気付きました。もちろん生で観る舞台は圧倒的ですが、ストーリーが分からないと何時間もはついていけなくなります。舞台の上だけでは、牢屋の中なのか、外なのか、誰がどこにいるのかも、よく分かりませんでした。(その点、オペラは、もともとほとんどの人にとって外国語で、字幕つきで、話もはるかに単純です。)でも、『レント』は終わってしまう前に観に行かなければ。

友人に薦められた、マーク・マーフィー(Mark Murphy)のこのアルバムの『My Favorite Things』は、ジュリー・アンドリュースとはまたまったく違って、いい感じです。何度も聴くとこの軽快なループが耳から離れなくなりますが、よくよく聴いてみると、歌詞は『犬に噛まれても、蜂に刺されても~、お気に入りを思い出せばどうってことない~』となっていて、いくらなんでも、それは無理があるのではないかと思っています。

4年以上前、ホームページに書いた、このコーナー開設の辞、Our Favorite Thingsを、再録させていただきます。

OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO

小さい頃から、面白かったものを熱心に人に薦める傾向があったが、分厚い本に対するハードルの高さと物事に対する興味は人それぞれ違うことを理解し、すぐに人に本を薦めるのはいいものではない、と考えるようになってからは、尋ねられない限り、執拗なセールスマンのように本を薦めることはなくなった(と思う)。

その代わり、妹には気兼ねなく勝手に本や映画を薦めていた。もちろんその後の選択は浩子次第である。しかし、最近になって判明したことだが、私以外のソースを含めそうやって必読の書、必見の映画が積み上がっていくのは妹にとって大きなプレッシャーだったらしく、本の途中で挫折していたのに「クリスマスキャロルには感動した」などと嘘を吐かせる(嘘ではないにせよ)原因となっていたようで非常に反省している。

それはさておき、このコーナーではジャンルを問わず私達の一押し、お気に入りを紹介したいと思います。

 

(頭の中を流れる)BGMmy favorite things

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Nov 07, 2007

幸福な王子

Birds_2(at Hudson River)

机の横のボードには、印象的な写真の切り抜きが貼ってありますが、あるとき、一人だけ二回登場している人がいることに気付きました。それは、振付家、Christopher Wheeldon(クリストファー・ウィールドン)で、先月の彼のカンパニーの旗揚げ公演も観にいきましたが、初めて舞台を見たのは、六月のニューヨーク・シティ・バレエの『ナイチンゲールと薔薇』でした。

その作品もさることながら、オスカー・ワイルド原作のこの繊細な哀しい短編の存在に何故自分がこれまで気付かなかったのか、不思議でなりませんでした。ネット上でこの作品を読み、ナイチンゲールを悼むのが自分の役目という気になりました。次に思ったのは、浩子にも読んでもらおう、ということです。浩子に「オスカー・ワイルド」、と言って分かるかどうか不明ですし、「ナイチンゲール」と言うと、看護婦のナイチンゲールを連想されそうです。『幸福な王子』と一緒におさめられているらしいので、『幸福な王子』というタイトルにして、『幸福な王子』に入っている『ナイチンゲールと薔薇』を読むようにメールを送りました。

でも、浩子はそもそも『幸福な王子』を知りませんでした。あらすじを読んだだけでも泣ける『幸福な王子』の話を説明しても、分かるような分からないような、と言います。それでも、ついに本屋で読んできてくれて、「自分の像の金箔をツバメに運ばせるなんてひどい!と思ったがはがしたものを貧しい人々に運んだのね。読んできたよ。いい話だったけど涙は出なかったよ。心臓がふたつに割れるところが好きだな。」というメールが送られてきました。どうして、『ナイチンゲールと薔薇』じゃなくて『幸福な王子』を読んでくるんだ???と思いましたが、メールのタイトルが『幸福な王子』だったから、それを目指して行ってしまったのだとか。また今度、読んできてくれるらしいです。

そんな浩子ですが、今週末、10日、11日に舞台に立ちます。是非、足をお運びいただければと思います。

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Jul 08, 2007

Shakespeare in the Park/Romeo and Juliet

Romeo_and_juliet

(“Romeo and Juliet” in front of Delacorte Theater in the Central Park)

シェイクスピア・イン・ザ・パーク。映画、Shakespeare in Love (恋に落ちたシェイクスピア)の親戚みたいな名前ですが、ニューヨークの夏の風物詩、セントラルパークの野外劇場(デラコート劇場)、でのシェイクスピアの公演のことです。今年は『ロミオとジュリエット』と『真夏の夜の夢』です。この一ヶ月続く連日の舞台は驚くことに無料なのです。何でも高そうに見える(かもしれない)ニューヨークですが企業スポンサーやビリオネアのお陰で、無料、もしくは安く見ることのできるパフォーマンスはたくさんあります。例えば、メトロポリタンオペラでは前シーズンから、通常100ドルするオーケストラ席のチケットが毎日200枚、20ドルのラッシュチケットとして売り出されていますが、これは○○さんと○○さん(個人名)の寛大な寄付のお陰なのです。世の中には自分だけではどうやっても使い切れないほどのお金を持った人がたくさんおり、こういう現象を見るとジョージ・W ・ブッシュの主張したCompassionate Conservatism(思いやりのある保守主義、大まかには、これがあるから大きな政府が面倒を見る必要はないということ)がワークする土壌はある気もしますが、冠がつくイベント、プロジェクトばかりでもありませんし、人の善意に依存するシステムは脆弱な気がします。

話がそれましたが、無料もしくはディスカウントチケットの常として、メットのチケットも2時間は並ぶ必要があります。元のオペラのチケットがソールドアウトな場合は並ぶしか見る方法はありませんが、費用(時間コストを含む)対効果を考え、各自、ベストの選択をすることになります。春にはニューヨークシティバレエの『ロミオとジュリエット』の新しいプロダクションの公開ドレスリハーサルがありましたが、チケットが手に入ればラッキー程度の感覚で行った私の後ろに並んでいた建築家は、「一生でこの先、何回舞台を見ることができるか分からないのに、こんな天井桟敷近くのnosediveな席では見れん。アシスタントの韓国人の女の子にこのチケットはあげる。」とその場で、チケットオフィスに行って、本公演のいい席を買っていましたが、私の効用曲線は座席にはあまり左右されないので、作品自体にはクリティカルだったものの、上の方の席からバレエを楽しみました。

8時からのシェイクスピア劇のチケットは当日の午後1時から劇場で配られるのですが、公演の後半のほうになると(ましてや週末)、早い人は前日から泊まりこみ、遅くても朝7時、8時からセントラルパークで行列を作ることになります。よい劇評がニューヨークタイムズに載った翌日から、チケットは更に手に入りにくくなります。私も一度、朝7時前から並んだことがありますが、今のところ、もっとも効率のいい方法は、雨が降りそうな夕方に、雨が降らないことを祈りつつ、キャンセル待ちの列に並ぶことです。雷雨注意報が出ている日は並ぶ人も少なく、キャンセルする人も多くなります。でも、先週は実際に雨に降られました。

シェイクスピア・イン・ザ・パークは無料ではありますが、役者もプロダクションもセットも、物凄くしっかりした豪華なものです。昨年はブレヒト(シェイクスピアではありませんが)の脚本をトニー・クッシュナーが翻訳したものを、メリル・ストリープが主演で演じていました。野外劇場であることを生かした舞台装置も毎年、見ものです。今年は水が張ってある舞台に映える真っ白なジュリエットが素晴らしいという批評を読み、友人も絶賛していましたし、あと数日で終わりなので競争も激しそうでしたが、雷マークの天気予報だった一昨日、ついに観に行ったのでした。

舞台はほとんど水面(水中)にあり、雷が気になるのももっともです。周囲に土手がありますが、教会も決闘シーンも墓所も浅く水が張られた水の中で、登場人物はお構いなく水の中に入っていきます。屋外の夜の水面のお陰で、黒はさらに漆黒になり、白はさらに青白くなるのです。ジュリエットがちゃんと14歳に見えるところ(個人的には一番重要なポイント)も秀逸でした。昔、映画『から騒ぎ』で、王子をデンゼル・ワシントンが演じているのを見て、オセロであればもともとムーア人ですが、舞台ではこういう配役も面白いなと思っていました。ニューヨークという土地柄もあるのかもしれませんが、役者の人種も様々で、今回は一族の中に黒人も白人もいて(ありえないことではありませんが)、現実の世界よりはるかに進んでいました。浩子に見せたいと思ったのは確かです。

(演目は記憶が定かではありませんが)ピーター・ブルックは六歳でハムレットを、トニー・クッシュナーは十二歳でマクベスを家族の前で一人で演じたらしいです。いつか浩子が一人でジュリエットをやるから、見て見て、と言ってくるのではないかと昔から楽しみにしていましたが、浩子は私がこんな妄想を抱いていることは知りません。単に、『ガラスの仮面の読みすぎかもしれません(誰か最新刊が出たら教えてください)。

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Nov 21, 2005

北斎/Hokusai

paris-twin-2 (at Montmartre)

浩子はどこかに行くと、大抵、その土地を好きになり、お土産を送ってくれます。長野のお土産(確か栗最中)と一緒に送られてきたのは北斎の定形外の縦長の絵葉書でした。何故長いかというと、富士山を越えてもっと高く昇って行く龍の絵だからです。「北斎はすごい人でした。この絵は北斎が晩年に描いたもので、まだまだ高くのぼっていこうとする自分なんだって、龍が。今度会ったときにまた話すね。」と、裏に興奮した調子で(鉛筆で)書かれていますが、「今度会ったとき」に話を聞いた記憶はありません。今度の辰年の年賀状の版画のモデルは、この北斎の龍にしようと、以降、机に飾ってあります。

ニューヨークでもっとも日本的な風景を観るのは不思議な気分ですが、北斎の恐らく一番有名な絵、富嶽三十六景神奈川沖浪裏、大波、The Great Waveは、近所のメトロポリタン美術館にもあります。これまでに一番よく通った美術館はメトロポリタン美術館です。徒歩圏内にあり、入館料は先方の希望価格はあるものの、当方の好きな額を受け取ってもらえます。先日、屋上で撮影させてもらおうと広報担当と話をしたときに聞いてみると、できるだけ多くの人に見てもらうよう、近隣の人に開かれた美術館であるために、このような入館料の設定にしているとのこと。常時、特別展がいくつか同時進行していますが、特別展に特別料金が不要なのも同様の趣旨だそうです。素晴らしいです。

そのメトロポリタン美術館のこの秋の目玉は、ゴッホの素描展です。Drawingはすべての基本、と言ったゴッホはDrawingとPaintingどちらが主か、というほど、Drawingに力を入れており、丹念に描きこまれたモノクロの絵の中には光と影があり白黒の風景写真のようです。彼が、浮世絵に影響を受けているのは有名な話ですが、その影響度合い、彼がいかに自分の作品に様々な技法を取り入れていったかが作品毎、時代毎に分かる構成になっています。展示には彼が残した大量の手紙の中の、日本人画家と題材である自然との関係、対象を掴むclarity(明晰さ)等等を賞賛し同時に羨むコメントが多々引用されており、アメリカ人の友人に「イチローは今のメジャーリーグの現役で実力ナンバーワンだ」と言われたときと同様、日本人として、勝手ながら鼻高々です。コメントだけでなく、彼が影響を受けた、北斎、広重らの木版画も飾られています。北斎のThe Great Wave、大波に飲まれている小船の向こうに見える富士山に並び、今度は一気にミクロの静謐な世界、菖蒲にとまっているキリギリスの版画がありました。「日本の画家は彼自身が花であるかのように自然の中に生き、一葉の草を観察している」とゴッホが書いているように、波しぶきを捉えるのと同様の明晰さで、菖蒲の葉脈、指に引っ掛かりそうなキリギリスの刺刺した足が描かれており、ゴッホが北斎を憧れ羨むのも無理もなかろうと思われます。

ゴッホがモンマルトルで自分と同じものを見ていたことに嬉しくなったりもしていましたが、ゴッホ展に行ったにも関わらず猛烈に北斎を観たくなりました。冒頭の浩子の葉書の文面から察するに、浩子は長野の北斎館で北斎の生涯を垣間見たに違いありません。羨ましくなり始めたところで、現在、東京では百年に一度の規模の北斎展が開催されていることを知り、羨ましい度合いがピークに達しています。北斎は、後世の遠いヨーロッパに、自分にここまで憧れ、倣おうとする画家が現れることを予期していただろうか、とも思いましたが、空に上る龍の絵は、そんなことは眼中になく高みを目指す北斎の境地を物語っていそうです。

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Sep 24, 2005

私達の本棚と三島由紀夫、近代能楽集

hiroko-ny-6th-ave(Ave. of America)

浩子の本棚には厳選された本が並んでいます。私はいつもチェックしていて、新規入荷があるとすぐに読みます。あるとき、浩子にしては珍しい自己啓発本のような知らない本があり、読んでみると、死ぬまでにファウストを映画化したいという手塚先生に心打たれるリクルートの猛烈セールスマン(現杉並区立中学校長先生)の話でした。さすが浩子と思っていましたが、何年後かにその本の話をしてみると、「古本屋で買っただけ。読んでない」と言われ、必ずしも深い意図があるわけではないことが分かりました。

昔は、三島由紀夫を好きと言うのは些か憚られ、「煌煌しいまでの天賦の才能がありながらも、それを自分のために使った人物には腹が立つが興味がある」などとよく分からない説明をしていましたが、浩子を含めほとんどの人には意味不明なため、最近では好きな作家には普通に三島を挙げるようになりました。浩子が持っている三島作品は、『潮騒』と小沢健二推薦の『レター教室』です。でも浩子は私の本棚には関心がないので私が何を持っているのか知りません。7月の終わりに、蜷川由紀夫演出で『近代能楽集』のニューヨーク公演がありました。ちらしの右下にあった井桁マークとスリーダイヤマークに気付き、三井、三菱の友人にお願いするといいことがあるかもと思ったら、結局相当いいお席を頂きました。『近代能楽集』はもともと私の好きな本ではありましたが、やはり戯曲は黙読するものではなく舞台で演じられるために存在するものだとしみじみ感じました。中でも卒塔婆小町は秀逸で、美輪明宏であれば言葉の壁も越えたのにという知人もいましたが、クールなのにトリップしている詩人の眼に映るお婆さんは小町に違いないと思わせるものがありました。

興奮した勢いで浩子に蜷川由紀夫の近代能楽集を観たと言ってみると、意外なことに最近読んだといいます。私の本棚を見て気になって読んだのかと思いきや、人に勧められ八重洲で買ったそうです。読んだと聞いて、卒塔婆小町が良かったと話を続けてみると、次のメールは「卒塔婆小町って誰さ」でした(そこまで読んでいなかっただけかもしれませんが。若しくは、浩子はそのとき近代能楽集の道成寺を観に行くべきかで頭が一杯だったからかもしれません)。いずれにせよ、先の手塚先生の話の際と同様、がっくりでしたが、我々はこの夏、それぞれ地球の反対側で近代能楽集を観たのでした。

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