Sep 27, 2009

夢十夜:第六夜 映画

Hiroko_central_park

(@Central Park)


こんな夢を見た。浩子が夢十夜 を元にした芝居をするから、夢十夜の映画を一緒に見ようと言う。気乗りせずに半分寝ながら離れて見ていると、突然、黒澤明の劇画調のモノクロ画面に昔の装束の人が山道を走っている。夢の中の夢かと思う。するとパソコンの画面が現われ、自動書記が始まる。昔、ノートの上に文字が浮き上がる夢を見たことがあるが、今どきになると自動書記もPC上になり、これもまた自分の夢かと思う。しかし、浩子は、これは松尾スズキの映画なのだと言う。

 

運慶が仁王像を彫るというので見物人が集まっている。運慶を見るのは初めてだと思う。運慶の踊りを見て、このようなところにもマイケルの影響があることに感激するが、時代からいって、運慶はマイケルを見る機会はなかったかもしれない。運慶はモダンな男で、袖を紐で絡げているが、髪は染めているのか金色で、ゴーグルだかサングラスを掛けている。見物人よりもよほどモダンだ。運慶が前振りの長いストロークで、ノミを振り下ろすと、木から仁王像がそのまま現れる。土から石を掘り出すようなものだから、決して間違えるわけはないという。自分もそのようなものかもしれないと思う。

 

それを見た阿部サダヲ演じる『私』は家に帰り、我もしてみんとてするなりと、軒先で薪を割る。すると昔、北海道土産の白い美味しい飴が入っていたような彫り物がでてくる。それを見て、自分はすぐに新潮文庫で第六夜を読む。そこで漱石の硬質な文章を読んでいる自分の感じをリアルに思い出し、これは夢じゃないと確信する。

 

漱石も凄いですが、映画も超秀逸なので是非是非ご覧下さい。


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Sep 06, 2009

ピノキオと赤い金魚と1Q84と良心

Goldfish1 発売前から村上春樹の新作はアマゾンで上位にランキングされていましたが、眼の悪い私は、それを見て、新作は『IQ84 なのだと思っていました。読んだ?という友人からのメールにも、日本で品切れの本が私の手元にやってくるには一年ぐらいかかるに違いないと思いつつ、二人目のメールでようやく、実は『1Q84』だったことに気付きました。内容を漏れ伝え聞かなかったとしても、この二つから想像するものはかなり違います。IQ84ではオーウェルは浮かびません。

 

日本で盛り上がっている様子を聞くにつれ、シークレットではありませんが、誰かが持ってきてくれないかなあ、と思っていると、思いもかけないところで、ボストンで1Q84 BOOK 1 をお借りし(結局頂いてしまいました)、そこからケイマンに行く途中のマイアミで読み終わり、待ち遠しかった1Q84 BOOK 2 は、帰りのケイマンの空港で紅茶をこぼしているのにも気付かずに読み始め、飛行機から海を見るのも忘れて、ニューヨークに帰ってくるまでに読み終わってしまいました。読み始めると止まらない、もの凄いストーリーテラーであることを久々の長編を読んで再認識したのでした。読み終わり、私も赤い金魚(もしくは亀)が欲しいと思って家に着くと、すでに金魚がうちにいました。

 

サンジェルマン伯爵が描いた本物の宝石の輝きを持つ絵を見てみたいものだと思いつつ、本物みたいな透明感があって動きのある金魚をどうやって二次元の世界に落とすのかというのも関心事でした。浩子はかなり私の理想に近い、『金魚の復讐(revenge of the goldfish)』 

 

Revengeofgoldfish

という凄いタイトルの写真のTシャ ツを持っています。それに生き物のいる生活っていいものです。観察するためにも、古典的な金魚鉢に赤い金魚が理想でしたが、金魚がいると簡単に家をあけら れなくなり、暑い夏も寒い冬もそれぞれ問題なので、無理だなと思っているところへ、蚤の市で赤い透明感のある金魚の置物があったので、ちょっと前に買った ばかりだったのでした。それも林檎を買うために20ドル紙幣を持ってジョギングに行き、それしか持っていなかったのでまけてもらったような気がします。金魚の横には亀の置物もありました。

 

もっとも簡単に泣ける話は、『鶴の恩返し』か『フランダースの犬』だと思っていましたが、最近、『ピノキオ』もなかなかなものであることを発見しました。本屋でディズニーの『Pinocchio 』の絵本がセールになっていて、最後にコオロギのジミニー・クリケットが良心(conscience)のメダルを貰うところを見ようと思って、最後のページを開くと、人形になって死んでいたピノキオが人間の子供になっておじいさんと踊っているところでした。これも泣けます。

 

浩子にジミニー・クリケットの携帯ストラップ(のちにキーホルダーに転用)を貰ったことがありますが、コオロギは物語の最初で妖精にピノキオの良心になるように任命されます。子供向けの話なのに、「良心」なんて言葉が出てくるのはアメリカでは良心という概念はもっと小さなうちから教えられるのだろうか、それとも日本語の良心とは微妙に異なる意味なのかと長らく(今でも)疑問でした。

 

浩子にその話をしてみると、DVD を借りて見てくれました。浩子の感想は「猫と金魚が仲良しなのもいいね」と、良心の話はどこかに行ってしまいましたが、クジラに食べられるときも、なぜか金魚は金魚鉢の中にいて、海に金魚を連れていくっていうのはどういうことさ、と突っ込みどころ満載ですが、やはり古典的な丸い金魚鉢に赤い金魚なのでした。

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Nov 07, 2007

幸福な王子

Birds_2(at Hudson River)

机の横のボードには、印象的な写真の切り抜きが貼ってありますが、あるとき、一人だけ二回登場している人がいることに気付きました。それは、振付家、Christopher Wheeldon(クリストファー・ウィールドン)で、先月の彼のカンパニーの旗揚げ公演も観にいきましたが、初めて舞台を見たのは、六月のニューヨーク・シティ・バレエの『ナイチンゲールと薔薇』でした。

その作品もさることながら、オスカー・ワイルド原作のこの繊細な哀しい短編の存在に何故自分がこれまで気付かなかったのか、不思議でなりませんでした。ネット上でこの作品を読み、ナイチンゲールを悼むのが自分の役目という気になりました。次に思ったのは、浩子にも読んでもらおう、ということです。浩子に「オスカー・ワイルド」、と言って分かるかどうか不明ですし、「ナイチンゲール」と言うと、看護婦のナイチンゲールを連想されそうです。『幸福な王子』と一緒におさめられているらしいので、『幸福な王子』というタイトルにして、『幸福な王子』に入っている『ナイチンゲールと薔薇』を読むようにメールを送りました。

でも、浩子はそもそも『幸福な王子』を知りませんでした。あらすじを読んだだけでも泣ける『幸福な王子』の話を説明しても、分かるような分からないような、と言います。それでも、ついに本屋で読んできてくれて、「自分の像の金箔をツバメに運ばせるなんてひどい!と思ったがはがしたものを貧しい人々に運んだのね。読んできたよ。いい話だったけど涙は出なかったよ。心臓がふたつに割れるところが好きだな。」というメールが送られてきました。どうして、『ナイチンゲールと薔薇』じゃなくて『幸福な王子』を読んでくるんだ???と思いましたが、メールのタイトルが『幸福な王子』だったから、それを目指して行ってしまったのだとか。また今度、読んできてくれるらしいです。

そんな浩子ですが、今週末、10日、11日に舞台に立ちます。是非、足をお運びいただければと思います。

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Dec 07, 2005

ゴッホ/Gogh

twin-paris-3 (at Montmartre)

そういえば、浩子はゴッホも好きです。昨年の今頃、ニューヨークに来たときは、「ゴッホが観たい」と言って、友達と一緒に(私は未だに行ったことのない)MOMAに行ってしまいました。ゴッホ展の開催中でなくとも、メトロポリタン美術館ではいくつもゴッホを観ることができます。帰国前日の、朝から10件ぐらい予定が詰っている中、浩子を驚かせようと、30分の予定でメトロポリタン美術館に行きました。

浩子が私の強力推奨により珍しく観てくれた映画にメラニー・グリフィスの『Born Yesterday』があります。もともとイギリスに行くはずだったのにアメリカに行き先を変えた原因の一つはトクヴィルの『 アメリカの民主主義(Democracy in America) 』がありますが、この映画では、ワシントンDCの政治家を利用したい億万長者の金髪の愛人ビリー(メラニー・グリフィス)が、その古典的名著に辞書を引きながら取り組み、教育係のジャーナリスト、ドン・ジョンソンの影響もあり、目覚しく変わっていく様子が描かれています。『Legally Blonde』と同様、知恵、知識がどのように人の目を開き自ら考えるようになっていくか、実は知ったかぶりをしているだけの人も結構多いことも観ることができますが、浩子の向学心、向上心を刺激することを期待していたところ、「ビリーはもとから馬鹿じゃないよ」と根本的なことを言われました。そうです。その通りです。映画の中で、二人が美術館に行き(設定ではワシントンのはずですが)、ビリーが「小さな絵なのに、この部屋全体以上に大きく感じる」と言って涙を流すのが、メトロポリタン美術館にあるゴッホの『はじめての歩み(First Steps)』です。ミレーの素描を題材にした絵で、肌色が人間の顔の色ではないけれど、家族にとっての大きな喜びの瞬間を描いた、黄緑が揺らめく、そうパワフルな絵なのです。この絵を観せて浩子を驚かせようと以前から画策していましたが、朝から色々詰め込みすぎたせいか、残念なことに超反応薄でした。

ゴッホと対で思い出すのは、弟のテオです。ゴッホの手紙を読むと、きっと『戦場のメリークリスマス』のセリアズとその弟のように、離れていても以心伝心のように繋がっている兄弟に違いないと思われます。両兄弟とも兄が世を去るとほどなく弟も亡くなります。

浩子へ、ゴッホの手紙は家にもあります。

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Sep 24, 2005

私達の本棚と三島由紀夫、近代能楽集

hiroko-ny-6th-ave(Ave. of America)

浩子の本棚には厳選された本が並んでいます。私はいつもチェックしていて、新規入荷があるとすぐに読みます。あるとき、浩子にしては珍しい自己啓発本のような知らない本があり、読んでみると、死ぬまでにファウストを映画化したいという手塚先生に心打たれるリクルートの猛烈セールスマン(現杉並区立中学校長先生)の話でした。さすが浩子と思っていましたが、何年後かにその本の話をしてみると、「古本屋で買っただけ。読んでない」と言われ、必ずしも深い意図があるわけではないことが分かりました。

昔は、三島由紀夫を好きと言うのは些か憚られ、「煌煌しいまでの天賦の才能がありながらも、それを自分のために使った人物には腹が立つが興味がある」などとよく分からない説明をしていましたが、浩子を含めほとんどの人には意味不明なため、最近では好きな作家には普通に三島を挙げるようになりました。浩子が持っている三島作品は、『潮騒』と小沢健二推薦の『レター教室』です。でも浩子は私の本棚には関心がないので私が何を持っているのか知りません。7月の終わりに、蜷川由紀夫演出で『近代能楽集』のニューヨーク公演がありました。ちらしの右下にあった井桁マークとスリーダイヤマークに気付き、三井、三菱の友人にお願いするといいことがあるかもと思ったら、結局相当いいお席を頂きました。『近代能楽集』はもともと私の好きな本ではありましたが、やはり戯曲は黙読するものではなく舞台で演じられるために存在するものだとしみじみ感じました。中でも卒塔婆小町は秀逸で、美輪明宏であれば言葉の壁も越えたのにという知人もいましたが、クールなのにトリップしている詩人の眼に映るお婆さんは小町に違いないと思わせるものがありました。

興奮した勢いで浩子に蜷川由紀夫の近代能楽集を観たと言ってみると、意外なことに最近読んだといいます。私の本棚を見て気になって読んだのかと思いきや、人に勧められ八重洲で買ったそうです。読んだと聞いて、卒塔婆小町が良かったと話を続けてみると、次のメールは「卒塔婆小町って誰さ」でした(そこまで読んでいなかっただけかもしれませんが。若しくは、浩子はそのとき近代能楽集の道成寺を観に行くべきかで頭が一杯だったからかもしれません)。いずれにせよ、先の手塚先生の話の際と同様、がっくりでしたが、我々はこの夏、それぞれ地球の反対側で近代能楽集を観たのでした。

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